介護事故9(裁判例)
1.介護事故の裁判例の傾向
近年では、医療事故の裁判例が増えてきていることに比べ、介護事故の裁判例はそれほど増えてきていないという傾向があります。
ただし、これは介護事故が少ないということを意味しているわけではなく、介護事故による損害賠償を裁判で請求することが少ないということを意味していると考えるべきです。
介護事故の裁判が少ない理由
利用者ないしその家族が高齢者福祉サービス施設に対して民事責任を追及する風潮があまりなかったかつての医療事故も同様でしたが、「施設にお世話になっている」という意識が利用者及びその家族にあったことや、「損害賠償請求をすれば、施設を追い出されるのではないか」という不安から、施設に対して民事責任を追及しようという風潮があまりなかったと考えられます。
しかし、平成12年4月1日から介護保険制度が施行され、措置から契約へという流れになり、利用者側の意識も変わってきています。
「事故態様の真相究明」の困難さ
精神的機能が低下している高齢者の場合には、事故態様を明確に証言することが困難であることや、証人となる目撃者がいないことが多いことから、施設の損害賠償責任が認められるための証拠の確保に困難さを伴うことが、民事裁判を提起することの障害になっていたと考えられます。
損害賠償額の問題
介護事故の被害に遭う利用者は高齢者であり、働き盛りではないので、若年者と比べて、逸失利益が高額にはならないこと、利用者が何らかの疾病を有しており素因減額が認められて損害賠償額が減額されることもあることなど、損害賠償請求を行っても、賠償額が抑えられる要因があることに加え、弁護士費用の負担を考えると、費用対効果の面でそお提起を踏みとどまらせる事情があったことが考えられます。
しかし、保険会社から弁護士保険(保険会社側が弁護士費用を一定額負担してくれるものです)が発売されるなど、弁護士費用の面の障害は少なくなりつつあるので、今後は介護事故の裁判例が増えていくことが予想されます。
2.裁判例の分析結果(1)転倒、転落事故
転倒事故
転倒の結果、骨折という負傷を招く場合は多いですが、死亡にまで至るものは多くありません。高齢者は骨が弱くなっているので、骨折は発生しやすいとしても、転倒事故自体により致命傷を負うことは多くはないのかもしれません。
ただし、負傷のために入院又は療養中に死亡するというケースがあります。この場合、転倒事故と死亡との因果関係が問題となります。
誤嚥事故に比べると、賠償請求は認められやすい傾向にあるといえます。その理由としては、利用者が転倒することの予見可能性が認められやすいこと、転倒の原因が職員の不注意にあることが多いこと、職員の不注意と負傷結果との間に相当因果関係が認められることが多いことが挙げられます。
負傷事故の場合には、傷害慰謝料は認められても死亡慰謝料は認められないことに加え、過失相殺が認められることも少なくないため、誤嚥事故と比べると、損害賠償の認容額はそれほど多額とはいえません。
過失相殺とは、被害者が損害賠償請求をするとき、被害者にも過失があった場合、被害者の過失に応じて損害賠償額を減額することです。例えば、利用者がトイレに行く際に、職員の介助を断って転倒したケースで過失相殺が認められています。
転落事故
窓から転落する場合は死亡に至ることはあり得ます。ベッドから転落する場合は直接死亡に至ることは多くはありませんが、転倒事故で述べたとおり、負傷のために入院又は療養中に死亡するケースがあり、その場合は転落事故と死亡との間の因果関係が問題となります。
誤嚥事故に比べると、賠償請求が認められやすい傾向にあることは転倒事故と同様です。
その理由は転倒事故と同様、予見可能性が認められる可能性が高いことにあります。
3.裁判例の分析結果(2)誤嚥事故
誤嚥事故で裁判例となっているのは、死亡事故です。
食事の献立が不適切であったり、見守りが不十分といったように、誤嚥事故の発生前の段階で職員の過失があっても、誤嚥事故発生後に職員が適切な処置をしたことにより、死亡の結果が回避できることもあります。
ただし、死亡の結果は避けられたものの、心肺停止に至ったことにより認知症が進行する、後遺症が残るといった損害が発生することは当然ありうるので、死亡に至らなかった場合にも民事訴訟が提起されることは考えられます。
誤嚥事故により死亡という結果が生じたとしても、施設側に予見可能性がなかったという理由で、施設側の過失が否定されることがありえます。それまでに嚥下障害やその兆候がなかった利用者が突然誤嚥事故を引き起こすこともありますが、このような場合は予見可能性が否定されることが多いと思われます。
誤嚥事故には死亡事故が多いので、請求が認められた場合には、損害賠償の認容額は死亡慰謝料を含むため、多額になることが少なくありません。
食事中の誤嚥事故の場合は、利用者が介助を断ることは考えにくいことから、利用者に過失が認められて過失相殺されることは、利用者が口の中に食べ物が残っているにもかかわらず職員に次の食べ物を要求するなどの特別の事情がない限り、認められないと考えられます。